的を射る? 得る?


2009年07月04日

的を射る? 得る?


第2弾★言葉の意味わかりますか?日本語検定3級に挑戦! ←参加中

(まと)()る』って、よく聞く言葉ですよね。

だけど、

的を得るって少しおかしくない?

的は射るものだから、
『的を射る』と言うのが正しい日本語じゃないの?

この問題、結論は
   どっちの表現も正しいのだそうです。

むしろ、『(まと)()る』のほうが的を得た表現なんだそうですよ。

GGも正しい日本語の表現には関心が強いほうだから、
『的を得る』という文章を見ると、
『的を射る』に直したくなるんだけど、

的の中心を射抜くことを【得る】って言うのだそうです。

えっ、そうなの? と思われた方、興味がある方、
調べてみてくださいね。

正しい日本語って、つくづく難しいなあと思います。

さきほど、【語検】から図書券をもらったことをこのブログに書いたんだけど、
新しい問題があることに気づきました。

柳の下にもう一匹ドジョウがいないかなと思い、挑戦してみました。

今回の問題はこんな問題です。

今回は3級「言葉の意味」の問題です。

 「さわり」の意味として、正しいものはどれでしょう。

【例文】話のさわりだけ聞かせる。

  @話などの要点のこと
  A話などの最初の部分のこと
  B話などの最後の部分のこと

Bは明らかに違いますよね。
@も違うよね。

「映画のさわりだけ観たら、つまらなくて寝てしまった」
という具合に使う言葉だから、

  A が正解

      ・・・だと信じています。
この枠内は7月10日に追記しました。

正解が発表され、@が正解でした。・・・ハズカシイふらふら

解説は次のとおりです。
「さわり」とは、もともとは浄瑠璃の一つである義太夫節のなかの、いちばんの聞かせどころを指しました。
そこから転じて、「話や歌のなかでもっとも印象深いところ」、「話などの要点」という意味になりました。
したがって、正解は@です。
「歌のさわりを聞かせる」といった時に、さわり=イントロだと勘違いしている人が多いのですが、さわり=サビが正しい解釈です。
みなさん注意してくださいね。


正しく美しい日本語を身につけたいものですね。

あなたの日本語は大丈夫ですか?

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サイトには、練習問題も掲載されているから挑戦してみてくださいね。
posted by GG at 18:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | おすすめサイト
この記事へのコメント
的を得る正当論を滅ぼすためのテンプレ。コピペ拡散希望

正鵠を得るが礼記にある→ない。礼記の不失正鵠(正鵠を失せず)を失わずと間違え、そこからの推測で正鵠を得るができただけ。漢語に得正鵠は存在しない。失は失うではなくそれる意。対義語はあたるの中。失正鵠(正鵠をそれる)の対義語は中正鵠(正鵠にあたる)
虞集『尚志斎説』などで用例もある。下記のサイトで「中正鵠」で検索してみよう
http://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource
正鵠は的の中心の黒星のこと→違う。西周が『五国対照兵語字書』で仏語の' blanc de cible'(銃の標的の中心の白円) を「正鵠」と訳し、大槻文彦が『言海』で的の黒星と創作し、日本と中国に拡散しただけ。鵠に的の黒星の意味があるというのは服部宇之吉の誤解
日本語の正鵠は中国語と別物どころか仏語としても間違い。正鵠は単純に的のこと。漢籍に標的の中心での用例はない。「皆侯之中、射之的也」と反論したら笑うよ?
得には当たる意味がある→ない。中国でも日本でも得に当たる意味などない。得より取のほうがよっぽどマシかもね
射るだと当たったかは不明。射抜くにしなければならない→違う。射るには当たる意味がある。これは日本古来の意味
用例もある。『平家物語』の「扇の的」で『うつ』を「放つ」、『射抜く』を「射切る」、『あてる』を「射る」と言い分けている
昔は漢籍に精通した人が多く、年長者ほど正鵠を得ると的を得るを使用する→正確に伝来できずに意味を間違えた漢語は沢山ある。それらは誤りだが正しいとせざるを得なくなった。正鵠を得るは日本初の要点を上手く捉える意味の語句だから誤りだが正しいと認めざるを得ないだけ
中国語で得正鵠がある→それは日本から中国に伝わったもの。正鵠を得るは諸悪の根源である
正鵠を得る、正鵠を射る、的を射る、的を得るの順に作られた(どれも戦前から使用)。正鵠を射ると的を射るこそが誤用→正鵠を射る(正鵠=的。射る=中)は正鵠を得るの訂正。的を射る=正鵠を射る=正鵠に中る=正鵠に中つ=中正鵠≠正鵠を得る=得正鵠=的を得る
的を得るは誤用じゃない→誤用の意味は「言葉の意味を誤って使う。言葉自体を誤ることではない」。的を得るは誤用ですらない
的を得るは正しいんだ→的を射るは慣用句で、的を得るは慣用句ではない。慣用句は特定の単語の組み合わせでなければならず、同じ意味の単語ではダメ。100階から目薬、写輪眼が無い、馬の耳に聖歌、ハローキティに小判が正しいとでも言うのか
根拠を出せ→民明書房にも劣る駿河台予備校世界史講師中谷臣のトンデモソースを信じる君が大好きなネット検索で調べてみよう。それでも納得できなければ、辞書や古典とかいろいろ読んでみよう。もちろん角川や三省堂以外もね
得る否定派を得る正当論で論破した。論破したから正論だ→なにが正論かは時と場合によって変わるし、論破によって正論か決まるわけでもない。文化庁などの総意を無視して詭弁をふりかざす無責任なことは止めてください
言葉は生き物。日本で正鵠を得るは正しい慣用表現。中国や本来の意味と違っても「間違い」ではない→語源を語ることと現在の使用法を語ることは全然違う。もうその言い訳聞き飽きた…
間違った言葉を使う人は勉学的バカだが、そういう人をバカにする人は人間的バカである。そして的を得る・得正鵠・正鵠を得る信者は両方の意味でバカである

世界に中正鵠・正鵠を射る・的を射るへの愛がある限り、このキュアラブリーは無敵なんだから!
Posted by 得滅亡大作戦 at 2014年07月22日 19:37
的を得る正当論を滅ぼすためのテンプレ。コピペ拡散希望

正鵠を得るが礼記にある→ない。礼記の不失正鵠(正鵠を失せず)を失わずと間違え、そこからの推測で正鵠を得るができただけ。漢語に得正鵠は存在しない。失は失うではなくそれる・すべる・はずれる意。対義語はあたるの中。失正鵠(正鵠をそれる)の対義語は中正鵠(正鵠にあたる)
虞集『尚志斎説』などで用例もある。下記のサイトで「中正鵠」で検索してみよう
http://zh.wikisource.org/wiki/Wikisource
正鵠は的の中心の黒星のこと→漢籍では的自体を指す。日本での意味は槇島昭武の個人言語から広まった可能性あり。西周がそれを参考にしたのか、仏語の' blanc de cible'を正鵠と訳し、弓道の正鵠ができた
結局西周が正鵠と訳した対象は、銃に関わるもので弓とは無関係。日本の弓術は矢が的のどこに当たったかで評価は変わらない。得点的は西洋からきた
中国の正鵠≠日本の正鵠≠仏語の正鵠≠弓道の正鵠。「正鵠を得る=的の中心を射抜く→要点をつかむ」という解釈は近代的・西洋的である
得には当たる意味がある→中国でも日本でも得に当たる意味などない
射るだと当たったかは不明。射抜くにしなければならない→射るには当たる意味がある。『平家物語』の「扇の的」で「うつ→放つ」「射抜く→射切る」「あてる→射る」と言い分けている
失の対義語は得である→得⇔損。失敗⇔成功。失望⇔希望。得手⇔苦手。過失⇔故意。失業⇔就業。失火⇔放火。失効⇔発効。見失う⇔見付ける。面目を失う⇔面目を施す。礼を失する⇔礼を尽くす。あれれ?
昔は漢籍に精通した人が多く、年長者ほど正鵠を得ると的を得るを使用する→正確に伝来できずに意味を間違えた漢語は沢山ある。それらは誤りだが正しいとせざるを得なくなった。正鵠を得るは日本初の要点を上手く捉える意味の語句だから誤りだが正しいと認めざるを得ないだけ
中国語で得正鵠がある→それは日本から中国に伝わったもの。
正鵠を得る、正鵠を射る、的を射る、的を得るの順に作られた。正鵠を射ると的を射るこそが誤用→正鵠を射る(正鵠=的。射る=中)は正鵠を得るの訂正。的を射る=正鵠を射る=正鵠に中つ=中正鵠=正鵠をそれず=不失正鵠≠正鵠を失わず=正鵠を得る=得正鵠=的を得る
的を得るは誤用じゃない→誤用の意味は「言葉の意味を誤って使う。言葉自体を誤ることではない」。的を得るは誤用ですらない
的を得るは正しいんだ→的を射るは慣用句で、的を得るは慣用句ではない。慣用句は特定の単語の組み合わせを用い、同じ意味の単語ではダメ。100階から目薬、写輪眼が無い、馬の耳に聖歌、ハローキティに小判が正しいとでも言うのか
正鵠を得るがなければ正鵠を射るも的を射るも作られなかった→不失=中=射る、正鵠=的。「的外れ」は18世紀から、「当たらずといえども遠からず」は1810年頃から用例がある。的を射るが慣用句化した可能性は十分ある
三省堂が誤用撤回したから正しい→規範主義でもない記述主義の三国の「誤用。正用」を参照するの?少しでも規範を考える人が三国を信じる訳がない
的を得る誤り説の初出は三国じゃない。三国の前のものには論拠が無い?話題にならなかったから大したことない?論拠を間違えただけで、的を得る自体が誤りという認識があり、的を得るが誤りという論に違和感がなかったかもしれない
それを言うなら、的を得る派が正鵠を得るの基となった正鵠を失わずが正しいとする論拠を一切提示していない
実例主義の三国が誤り説に大きく影響したとガチで言っているならマジでヤバイぞ?!
ちなみに文化庁に「三省堂が的を得るは誤りではないと言ったから、的を得るは正しいのか」という問い合わせの返答は以下の通り
『三省堂国語辞典 第7版』の新しい記述に関しては承知しておりますが,他の辞書が同様の見解を示しているわけではありません。
例えば,同じ三省堂であっても,『現代新国語辞典 第4版』や『大辞林 第3版』などでは『三省堂国語辞典 第7版』と同じ見解ではないようです。
三省堂だけでなく,各社の今後の動向を注視していこうと考えております。
BIFFの亜空間要塞は正しい→的を得るを勝手に慣用句にする。的を得る未掲載の辞書を得るを容認しているように話す。日本の正鵠の初出を勘違いした相手を調査不足だと人身攻撃も厭わない。無知と卑下しながらインテリナルシシズム全開
余談だけど心理学では「難しい言葉を使いたがる人ほど心が狭い」とされている。あとNPDの臭いがするかも…。下記のサイトもチェックしてみよう
http://ronri2.web.fc2.com/index.html
Posted by 失わずshine(輝き) at 2015年02月24日 12:56
日本と中国は異文化。正鵠を得るは中正鵠でなくて不失正鵠を「正鵠を失わず」と日本読みし、そこから生まれた日本の慣用句。中国にない表現でも誤りではない。日本独自の文化。そもそも異文化を間違いなく解釈することなんて無理。変化は必然。失わずは決して間違いではない
→金○均はき○たまきん?開眼をかいげんとかいがんのどちらで読んでもいい?『ボールが外れたから拾う』を『ボールを失ったから拾う』と通訳する?礼記は日本の本?漢語の失正鵠の対義語は得正鵠?
外国人「糞うぜぇマジshineと書いてるが、死○じゃなくて輝きと訳して問題なし」
日本人「英文で『難病と闘う少年にクラスメイトみんなでshineと言った』という文章があったので、みんなで死○と言ったと解釈しよう」
サラリーマン漫画読者「『島耕作は初芝に勤めるshineだ』というセリフがあった。社員ではなく輝きか死○のどちらかだろう」
中国人「日本の小説で『戦友から託された手紙』という文章があった。トイレットペーパーを託されたという意味に違いない」
カトリック教徒「ハライチ澤部は童○キャラで人気を博した。カトリックの尼僧キャラだな」
メロンパンナ「神戸市民から美味しいサンライズと毒入りメロンパンを貰った。私はサンライズがメロンパンだと思うので、私にとってのサンライズを食べる」
現代人「古典でことわるという単語が出た。判断する意味じゃなくて現代の意味で読むべき」
アメリカ人「日本の子供はポケットモンスターが好きで、ポケットモンスター専門店があるらしい。日本の性教育はおかしい」
現代人「昔の医学書に『この患者は二の腕に注射しないと助からない』と書いてあった。現代人だから一の腕に注射する」
タイ人「日本人は性的な意味で好きな人にmoeと言うようだ。なるほど○毛か」
イザナミ「雨上がり決死隊のホトちゃん=雨上がり決死隊のvaginaちゃん」
北海道民以外「北海道民が『子供をチョコでぼったくった』と言った。この北海道民は子供から金を巻き上げた」
沖縄県民以外「沖縄県民が『漫湖で写生した』と言った。vaginaでejaculationだろう」
この人たちが「異文化だから間違えても変じゃない。俺たちの文化に当てはめて何が悪い。言葉は変化するものだ。何も間違ってない。現代日本人だって不失正鵠を正鵠を失わずと読むだろ!」と言ったら?
的を得ると得正鵠の基となった正鵠を得るの基となった正鵠を失わずを認めるなら、この人たちの理屈を認めなければダブルスタンダードだと思いませんか?
大きな誤りは小さな誤りの積み重ね。正鵠を失わずを正しいと認めるの?

文字とは昔から今、今から未来へと続いていく約束事だ。それが守られるから現代人は過去の書物を理解し、未来の人々に我々の意思を伝えることができ、異文化と交流できる
文字とは公共財だ。もし自分勝手に意味を読み変えることに寛容であれば、文字の体系性が破壊し、コミュニケーション機能が崩壊し、文字が文字の役目を果たせなくなる
我々人間が他の生き物と違うのは言葉が使えること。自分の意思を相手に伝えるからこそ人間社会は成り立っている
「言葉は生き物。意味が通じれば誤りや誤用でも大丈夫」という意見があるのは、「相手に伝えたい」という言葉が存在する意味を理解しているからだ
言葉は自分だけでなく相手を救うもの。相手を尊重するからこそ、我々は文化・時代・国を超越して理解し合えるのだ
言葉とは文化でもなければ生き物でもない。人が人を想う心そのもの。互いが互いを思いやる人間として当たり前のこと
それを「自分の文化・時代・国として読みが正しければ、相手の文化・時代・国を無視した意味でも正しい」とかどんだけワガママなんだよ
村岡花子の爪の垢を煎じて飲まなくちゃ、ダメよ〜ダメダメ
Posted by アイアムそれず at 2015年03月07日 20:29
このブログを読んでいるみなさん、「三省堂国語辞典第7版で誤り撤回で決着した」ということはあり得ません。
文化庁や角川書店などの辞書出版社に「三国の撤回によって、的を得るは正しい言葉と認められたのか」と問い合わせしましたが、すべての返答が「三国の影響を受けることはない」でした。

下記のブログに、掲載の許可がもらえた角川書店からの問い合わせメールの画像がアップされています。

スライム国のおへや 「三省堂国語辞典第7版で誤り撤回で決着」論への反論
http://surakokuheya.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
Posted by スライム国 at 2015年05月31日 01:09
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