小樽運河公園の「赤い靴・親子の像」銅像 


2008年05月12日

小樽運河公園の「赤い靴・親子の像」銅像 


小樽啄木会主催の「啄木忌の集い」に出席してみました。

時間に余裕をもって出かけましたので、去年除幕された「赤い靴」の銅像を見て来ました。

JR小樽駅から海に向かって歩くと、小樽運河があります。
相変わらず、観光客がおおぜいでした。

特に目立つのは、韓国? 台湾? 中国? のアジア系の観光客。
顔立ちは日本人と変らないんだけど、大声で話す言葉が違います。

ここにくると、つい写真を撮りたくなります。

2008年5月 小樽運河

赤い靴の銅像を探したのですが、見当たりません。

案内所で聞きました。
小樽運河の西端にある「運河公園」にあるのだそうです。

運河に沿って、西へ西へと歩きます。
この日は風が冷たく、手がかじかむほどでした。

少し歩くと、もう観光客の姿はありません。

小樽運河の中心部から歩いて20分ぐらい、1kmぐらいあるでしょうか、運河公園に着きました。

運河公園の赤い靴銅像

「運河公園」についてこんな説明板がありました。
運河公園は、小樽運河から旧日本郵船鰹ャ樽支店(国指定重要文化財)の間にあった専用船入澗(ふないりま)と倉庫群の跡地につくられた公園であり、運河とその周辺の往時の面影を今に伝える記念公園です。
 正面に威風堂々とそびえる旧日本郵船鰹ャ樽支店は、明治の終わりから昭和初期にかけて外国との貿易等により隆盛を極めた海運会社で、荷を満載した艀(はしけ)が小樽運河からこの船入澗に出入りし倉庫への荷役を行っていました。
 当時、小樽港は、歴史的景観を次世代に引き継ぐため、当時、この敷地内にあった建築物や構造物の建設材料をできるだけ保存・再利用し、公園の整備を行いました。
             平成10年10月竣工

子供たちが走り回って遊んでいましたが、赤い靴の銅像は日当たりのよい場所にありました。

小樽 赤い靴・親子の像

童謡「赤い靴」は野口雨情が作詞した歌、歌に秘められた悲話が感動を誘います。

碑文、おもてには「赤い靴はいてた女の子・・・」の歌詞が書かれていましたが、裏面の碑文にはこのように書かれていました。
     童謡「赤い靴」と小樽の街
 この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に托され、わずか9才でこの世を去った。
1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「赤い靴」が生まれた。
札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べ親交をもつ。
鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック冨岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。

私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。
 天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて・・・

  2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会

「きみちゃん」の、もう少し詳しい記事がココにあります。

小樽の「きみちゃん」は両親に抱かれているというのがよかった!

「きみちゃん」のお母さんの生れ故郷である静岡県日本平にも銅像があり、ここは、「きみちゃん」とお母さんが並んでいます。

日本平の【赤い靴】


posted by GG at 18:11 | Comment(0) | TrackBack(1) | 石川啄木
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「赤い靴はいてた女の子」は異人さんに連れられて行かなかった
Excerpt: 野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡「赤い靴」は誰もが知っている歌です。 女の子の名前は「きみちゃん」。 実は横浜から船に乗ってはおらず、東京の孤女院で、9歳のとき亡くなっています。 野口雨情といえば..
Weblog: 石川啄木 漂泊の詩人
Tracked: 2008-05-12 18:25







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